2015年12月28日

僕にとって史上最高の名馬、フジキセキがこの世を去る

 この馬にも『夢をありがとう』という言葉を送りたい。



 幻の3冠馬フジキセキ死亡・・・4戦4勝で引退、種牡馬として名馬送り出す(デイリ-スポーツ)

 94年朝日杯3歳Sの覇者で、種牡馬としても多くの名馬を送り出したフジキセキが28日、頚椎損傷のため死亡したことが明らかになった。23歳だった。

 日本競馬に旋風を巻き起こしたサンデーサイレンスの初年度産駒として94年にデビューし、新馬戦を8馬身差で圧勝。無敗のまま朝日杯3歳Sを制した。翌年の始動戦となった弥生賞も完勝。だがその後、左前脚の屈腱炎が判明。クラシックの舞台に立つことなく4戦4勝で引退し、幻の3冠馬と呼ばれた。

 引退後は北海道の社台スタリオンステーションで種牡馬として活躍。ダートG1を7勝した砂の王者カネヒキリや、10年NHKマイルCでレコードVを決めたダノンシャンティなどのG1馬を輩出。日本初のシャトル種牡馬として5年間、オーストラリアに渡り、10、11年高松宮記念を連覇したキンシャサノキセキが誕生している。

 腰痛のため13年に種牡馬を引退。功労馬として社台スタリオンステーションで余生を送っていた。現役で活躍する14年皐月賞馬のイスラボニータを含む4歳馬が、最後の世代となっている。

 社台ファーム代表・吉田照哉氏は「きょうの午前中に立てなくなりました。この馬のすごいところは、孫も活躍していること。ダノンシャンティ、キンシャサノキセキも種牡馬として結果を残していますからね」と労をねぎらった。(引用終わり)

 鳴り物入りで日本競馬へ種牡馬入りしたアメリカの二冠馬サンデーサイレンスの初期筆頭産駒と言えるだろう。
 種牡馬サンデーサイレンスが競馬界を席巻する兆候を示した初年度産駒ゆえ、明け4歳(当時の馬齢表記)の種付けシーズン中に故障発生し、通常なら現役続行のところをあっという間に種牡馬入りが決定したという特殊な背景の有る馬。

 その漆黒の馬体は非常に美しく、その強さも有って僕は魅了された。
 唯一関西で走った2戦目のもみじSを僕は幸いにも現地観戦したが、後のダービー馬タヤスツヨシを子ども扱いで完封する。 デビュー戦では出遅れながら馬なりで8馬身差の圧勝。 3戦目の朝日杯3歳Sでは武豊騎乗のスキーキャプテンを抑え無敗で3歳王者になった。
 明け4歳の皐月賞トライアル弥生賞では直線半ばで並びかけたホッカイルソーを『抜かせるか』とばかりに一気に突き放した勝負根性には皐月賞ばかりかダービーも間違いと思えたものだ。
 上記ニュース記事にも有るように、『幻の三冠馬』と呼ばれた同馬だが、頭の高い走法から、僕は菊花賞はさすがに距離がどうかと思っていた。 しかし、菊花賞と近い日程のアメリカのブリーダーズカップ・クラシックへの挑戦の話が出た。 当時の僕は少し自暴自棄にもなっていて、別に会社をクビになっても良かったので、会社休んでトンボ返りでも良いからアメリカに飛ぶつもりになったくらい惚れ込んだ。 しかし、皐月賞を迎える前に屈腱炎発症により突然の引退。 通勤途中にスポーツ新聞でその報を知った僕は泣きそうになったものだ。

 昨年のイスラボニータの世代が最後の世代となり、ついに産駒によるダービー制覇はならなかったが、短~中距離路線で多くのGⅠ馬を輩出した。 シャトル種牡馬として秋はオーストラリアで種付けを行った時期も有ったが、オーストラリアでもGⅠ馬を輩出した。 日豪合わせて年間300頭以上種付けした年も有ったはず。

 その荒々しいばかりの勝負根性と、美しく雄大な漆黒の馬体が魅力的な名馬だった。
 僕のもっともつまらない日常だった1年間を、ナリタブライアンとともに潤わせてくれたフジキセキ。 本当に、『夢をありがとう』と伝えたい。

 『漆黒の馬体、星ひとつ』、三宅アナの表現が大好きだった。

 ご冥福をお祈りいたします。

 

posted by ちゃんちゃん at 20:43| Comment(0) | TrackBack(0) | ギャンブル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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