2017年04月04日

”山の神” 柏原竜二が競技生活から引退

 彼は箱根のヒーローでした
 

 柏原竜二が引退 箱根の新・山の神、重圧と故障(日刊スポーツ)

 箱根駅伝で「新・山の神」と呼ばれた柏原竜二(27=富士通)が3日、引退を発表した。東洋大時代は箱根駅伝の山登りの5区で4年連続区間賞を獲得し、3度の総合優勝に貢献。最優秀選手賞(金栗賞)も3度受賞した。歴史に残る箱根のスターが早すぎる現役生活に幕を下ろした。

 柏原は「度重なるけが、故障をしてしまい、この発表をしている今でも完治しておらず復帰のめどがたたないことから、競技の第一線を退くことにしました」とコメントした。12年に入社した富士通では東洋大時代とは一変、脚光を浴びることはなかった。全日本実業団対抗駅伝も13年6区4位、15年5区7位、16年5区9位。2度挑戦したマラソンも2時間20分45秒と2時間22分15秒だった。

 引退が頭をよぎったのは昨年11月。熊本甲佐10マイルに出場したが、腰を痛め、途中棄権した。今年1月には、奄美大島での合宿中に右アキレスけんを故障。引退を決断した。富士通の福島監督らからは「やめるには早いのではないか?」と慰留された。だが、もともと満身創痍(そうい)だった。13年12月、右アキレスけんを痛め「もう1度大きなけがをしたら競技人生に区切りをつける」と決めていた。

 3月下旬。福島・いわき総合高の恩師で、現在は田村高(福島)に勤める佐藤修一先生に電話をかけた。引退の意向と感謝を述べると「肩の荷を下ろして、生活ができるな」と伝えられると、号泣した。「はい」と、うなずくことしかできなかった。競技生活は「山の神」との愛称が付きまとい、重圧との闘いだった。今後は社業に専念する。強化運動部のサポートや地域・社会貢献活動の補助などを行う予定だ。【上田悠太】

 ◆柏原竜二(かしわばら・りゅうじ)1989年(平元)7月13日、福島県いわき市生まれ。いわき総合高で08年1月の都道府県駅伝1区区間賞。同年4月に東洋大へ進学。自己ベストは5000メートルが13分46秒29(09年)、1万メートルが28分20秒99(09年)。13年青梅マラソン(30キロ)3位。趣味はゲーム、アニメ。好きな声優は花沢香菜。174センチ、55キロ。


 僕が初めて箱根駅伝をまともに観たのはたぶん柏原選手が3年生の時だったと思います。
 5区山登りでのその圧倒的な強さには驚きとともに、憧れを感じたものです。
 それでも彼は自身の区間記録を更新できなかったことを悔しがりました。 東洋大学もその年は総合2位に甘んじました。
 そして4年生の時、自らの持つ区間記録を更新し、総合優勝を飾り、彼は大学陸上競技生活を華々しく締めくくりました。
 苦しい5区での4年連続区間賞、彼は箱根で伝説となりました。

 しかし、社会人になってからの彼は目立った成績を残すことは有りませんでした。 故障との闘いだったのですね・・・
 僕自身、駅伝等ではいつも注目していましたが、フルマラソンに出走していたのはほぼ記憶に無いくらいでした。

 ”山の神”という称号が重荷となった社会人としての陸上競技生活だったのだろうと思いますが、彼の箱根での活躍はもはや伝説で、けして色褪せることは有りません。
 第二の人生が、柏原選手にとって素晴らしいものになることをお祈りしたいと思います。

 競技生活、お疲れ様でした。
 そして心躍る走りを、ありがとうございました!!
 
posted by ちゃんちゃん at 19:04| 大阪 | Comment(0) | TrackBack(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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