2018年02月28日

快速馬ネーハイシーザー永眠す、芝1800m日本競馬史上最強馬

 思ったより哀しむ自分が居ます

 今日はまだ観れていない平昌五輪のフィギュアスケートのエキシビションを観るつもりでしたが、ネーハイシーザーの追悼記事を書いておきたいと思います。
 
 
 94年天皇賞・秋優勝のネーハイシーザー死亡 日本レコード2度の快速馬(スポーツ報知)

 1994年の天皇賞・秋を制し、同年のJRA賞最優秀父内国産馬に選出されたネーハイシーザー(セン28歳)が26日、余生を送っていた北海道新ひだか町の荒木貴宏牧場で死んだことが27日、分かった。ジャパン・スタッドブック・インターナショナルが発表した。

 同馬は父サクラトウコウ、母ネーハイテスコ(父テスコボーイ)という血統。3歳春のクラシックには出走できなかったが、同年の中日スポーツ賞4歳S(当時、G3)を1分45秒2の日本レコードで勝利。翌年は京阪杯(G3)を1分58秒9のコースレコードで制し、毎日王冠(G2)を自身の日本レコードを更新する1分44秒6で優勝。続く天皇賞・秋ではビワハヤヒデ、ウイニングチケットなどを破りG1初制覇を飾った。3~7歳(現2~6歳)まで走り、通算成績は23戦8勝(うち重賞5勝)。

 引退後は種牡馬入りし、初年度からヒマラヤンブルー(巴賞)など活躍馬が出たが、徐々に種付け数が減少。2005年に種牡馬を引退していた。

 荒木貴宏氏「とても悲しいお知らせをしなくてはなりません。ネーハイシーザーが26日午後3時過ぎに天に召されました。前日(25日)までは自力で起きあがることができ食欲もあったのですが、翌朝から自力で起きあがることができなくなり、苦渋の決断をしました。皆様には今までご支援をしていただき、感謝の気持ちでいっぱいです」
(スポーツ報知)


 記事中に『苦汁の決断をしました』と有りますが、最期は安楽死の処置をしたということでしょう。 苦しまずに逝けたのならそれにこしたことは無いと思います。

 このネーハイシーザーの逝去については、夕方にターオーさんからメールをいただいて知りました。
 すぐにネットニュースを検索すると、上記のようなニュースがいくつか有りました。
 記事を読むと、思っていたより哀しさを感じる自分に少し驚きました。
 馬自身を好きになったフジキセキと違い、ネーハイシーザーは鞍上の塩村騎手を応援することで同時に応援していました。 しかし、フジキセキ逝去のニュースよりも、今回のネーハイシーザー逝去のニュースの方が哀しみを感じたように思います。 フジキセキ現役引退のニュースの時は涙出そうになりましたが、今回も同様でした。
 やはり塩村騎手との最高のコンビだったネーハイシーザー、騎手だけでなく、いつしか馬自身も応援していたんでしょうね・・・

 さて、ちょっとネーハイシーザーにまつわる想い出話を少し(?)書いておきます。

 僕がネーハイシーザーを知ったのは、たぶん4歳(当時の表記)の中日スポーツ賞4歳Sをレコード勝ちしたというニュースを知った時だったと思います。
 それが93年の夏でしたが、僕が馬券を買うようになったのは92年の有馬記念からだったと思います。
 最初は競馬好きの現場の主任さんの奨められるがままに買っていただけでしたが、93年のダービーは自分で考えて買い、初めて馬券で勝ちました。 勝利額は僅かでしたが。(初めての的中は同年の春の天皇賞で、ライスシャワーがメジロマックイーンを破った時でした)
 秋になって神戸新聞杯の日にその現場の上司達とともに阪神競馬場を訪れ、朝からメインまで観戦しました。 そのメインで有る神戸新聞杯でビワハヤヒデに次ぐ2番人気に指示され、2着に入った馬がネーハイシーザーでした。 鞍上はもちろん塩村克己騎手。
 この日は確か函館・中山のメインを合わせ、13戦全敗でした。 ちなみに函館メインではナリタブライアンが惨敗していました

 その後、僕のマラソンの師匠でも有る友人S君より、塩村騎手がその友人S君の中学校(小学校も?)の同級生ということを知り、同い年ということも有り、一気に親近感を憶えて応援を始めました。

 ネーハイシーザーの5歳時はまさに黄金期で、僕は競馬場での生観戦で、重賞勝利のシーンも2度目撃することができました。
 大阪杯(GⅡ)、京阪杯(GⅢ)での勝利を生観戦。 宝塚記念は敗れたものの、秋に入って毎日王冠では自身の日本レコードを更新する衝撃のタイムで勝利し、その勢いのままに秋の天皇賞も勝利しました。
 この勝利はネーハイシーザーにとっても、鞍上の塩村騎手にとっても記念すべきGⅠ初勝利でした。
 先ほどこの天皇賞・秋と毎日王冠の動画を観ましたが、改めて観ると凄いメンバーでした。 ビワハヤヒデ、ウイニングチケット、サクラチトセオー、ステージチャンプ、マイシンザン、ワコーチカコ、ロイスアンドロイスの同世代馬に加え、ナイスネイチャ、セキテイリュウオー、マチカネタンホイザ、フジヤマケンザンなど、タレント揃いですよね。 この頃の競馬が懐かしい・・・
 馬券も単勝8.6倍を1万円買ってましたし、僕にとっても素晴らしい日でした。
 観た動画は両レースともフジテレビのものでしたが、どちらも三宅アナの実況でした。 僕は三宅アナの実況が大好きでしたし、この両レースの実況もほとんど憶えていましたよ。
 このネーハイシーザーが秋の天皇賞を制した94年は、ナリタブライアンが4歳で三冠馬となり、フジキセキが3戦無敗で朝日杯3歳Sを制した年でした。 僕の馬券が最も好調だった1年でも有ります

 僕は毎日王冠がネーハイシーザーのベストレースで有ったと思っているのですが、芝1800mでは本当に日本競馬史上最強馬と言っても過言では無いのでは無いかと考えています。 毎日王冠は本当に強かった。
 芝1800mの条件なら、ナリタブライアンよりもタイキシャトルよりも強いのでは無いかと思っています。
 サイレンススズカ、エルコンドルパサー、グラスワンダーらと最強を争う1頭なのでは無いでしょうか?
 ディープインパクトやオルフェーヴルはどうでしょうか?

 それにしても不思議なものです。
 昔より僕を知っている方々はご存じだと思いますが、僕は以前、塩村騎手を応援するHPを運営していました。 その縁有って、塩村騎手引退時には、その近しい方よりターオーさんともども応援に対するお礼のメールをいただき、しばらくメールのやり取りもさせていただいていました。
 実は3日前、その方より4年ぶりくらいにメールをいただいておりました。 その僅か3日後の訃報でした。
 塩村騎手が最後の騎乗となった2001年9月の阪神競馬にも、本当にたまたまターオーさんと二人のプチオフ会でたまたま居合わせるということが有りましたし、今回のたまたまのメールの直後にターオーさんよりのメールで訃報を知ることとなったことも、ターオーさんと僕、塩村騎手とネーハイシーザーと、不思議な縁を感じます。

 ネーハイシーザーが大活躍した94年は僕にとっては競馬以外の楽しみの無い1年でした。 その1年を豊かなものにしていただいたのは、ネーハイシーザーの存在はけして欠かせないもので有ったと思います。
 ネーハイシーザーには本当にありがとうと言いたいです。
 天国では2001年6月に亡くなられた布施正先生に逢って欲しい。 雲の上を自由に駆けて欲しいです。
 ネーハイシーザーのご冥福を心よりお祈りいたします。
 
posted by ちゃんちゃん at 00:06| 大阪 | Comment(4) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
思い出しても不思議なくらい、当時の私はアンチ武豊。だから武豊JKと同期の塩村JKの活躍には大喜びしたもんです。ネーハイシーザー。久々に思い出しました。まさに快足馬でしたね。残念ですが、安らかに眠って…いやどこかで駈け回っててほしいですね。
Posted by demachi at 2018年03月05日 14:28
 塩村騎手も初年度は確か33勝しているんですよね。 普通なら新人賞獲れるはずなのですが、同期に武豊が居たのがある意味不運だった面も有るかもしれませんね。

 他のブロガーさんも書かれてましたが、布施調教師に可愛がって貰えたらと思ってしまいます。
Posted by ちゃんちゃん at 2018年03月05日 18:33
今夜のNHKためしてガッテンでいきなりネーハイシー座が取り上げられてびっくり。塩村氏のコメント付きでした。菊花賞時の心房細動についてです。いやおどろいた。実況は杉本さんのやつ。残念ながらその後の活躍の話はなしでした。

ディレクターもファンだったんでしょうね。
Posted by demachi at 2018年03月07日 23:48
意外と皆さん観られてるんですねぇ。

知っていたので録画して観ましたよ。
この件につきましてはまた私信入れさせていただきますね。
Posted by ちゃんちゃん at 2018年03月08日 00:14
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