2019年06月04日

なんでもかんでもことさらに『自由』の『権利』を主張すべきでは無い

 ここのところ政治的なことや社会的なことを書くのは僕にしては控えていましたが、ちょっと今日は思うところが有ったので書きたいと思います。
 
 
 少し前から『不登校Youtuber』と呼ばれる10歳の少年が存在することは少しですが知っていました。
 今朝、たまたまネットの記事に興味が湧き、その少年のお父さんの手記や色々な方々の意見も多くは無いかもしれないですがそれなりに読んでみました。
 で、ちょっと僕も自分の考えをここに書いておきたいなと思ったのでこのことや、それに派生することなどについても書いておこうと思います。

 誤解の無いように最初に書いておきますが、僕はその少年自身を批判するつもりは有りません。 批判するとするならそれはその少年の親や、少年を無責任に持ち上げる周囲の人々やメディアの方々ですのでお間違え無きようお願いしたいと思います。


 まず最初に確認しておきたいのは、該当の少年は『学校に行けない子』なのでは無く、『自ら学校に行かないこと』を選択した少年だということです。
 色々な記事や意見を読んでいると、この少年については『自由登校』という言葉がよく使われています。

 彼が最初に違和感を感じたのは、宿題をするように言われて、せずに行くと居残りをさせられて宿題をさせられたとか。 宿題をやってくる廻りの子供達がまるでロボットのように見えたとかで、自分はそうはなりたくないというような理由だったと聞きます。
 それで『学校に行かないこと』を選択したとのことなのですが、給食や図工、遠足など、行きたい時には行くそうです。
 ここが『行けない子』とは根本的に違います
 『学校には行きたい』や、『学校に行かなくては』と頭では考えながら、いざ朝になると熱が出たりお腹を壊したり、蕁麻疹が出てしまったりして『行けない』子供とは全く違うのです。

 この少年が有名になったのは、長期休暇明けに自殺する人が多いと知り、『無理して学校に行くこと無いんだよ』と伝えたかったために動画を配信したからだと聞きます。 きっと心優しい少年なのでしょう。
 あと、『当たり前のように宿題をすること』などに、『なぜ?』という疑問を感じるようになった、ある意味精神的な成熟が比較的早い子供だったのかもしれません。

 しかし、そういったことについては、『行けない』わけでは無いのだから、親がきちんと話して行かせるべきだと僕は考えるのです。 『行きたいものに関してだけ行く』というのはただの我がままでしか有りません。 子供の身体が行ける状態にあるので有れば、行く方向に促してあげるのが親の務めなのでは無いかとも思います。 もちろんこの少年の親も、沢山説明して、話し合って、それでも『自由登校』という道を選択したのかもしれ無いので頭から批判はできないのですが・・・

 大きくは国、そして会社や学校、小さくは家族といった大小さまざまなコミュニティに属している以上、最低限の守るべきルールは有ります。 当然我慢することだって必要です。 学校というのはそういうものも学べる場所なのでは無いでしょうか? それを守るように努力することは、それを否定してことさら個人の自由を主張することよりは正しいと僕は思うのです。

 この少年の父親は、『子供の学びたいことを学ばせる』というようなことを言っていますが、その『学びたいこと』を見つけさせるために、色々な勉強を習ったりするのが『学校』なのでは無いでしょうか? 10歳の少年の小さな世界の中で、『学びたいこと、興味の有ることだけを学ばせる』というのは、その子供の世界を圧倒的に狭める危険性すら有ります。 それを20年後に気付いても遅いかもしれません。

 何でもそうですが、肯定から入ることは難しいけど大事なことです。 しかし、親は可愛い子供の不登校を簡単に受け入れることは難しいものです。 子供の苦しんでいる姿を見るのは、その親にとっては自分のこと以上に辛いものです。 この家族のように、『学校に行きたく無い』という子供の意思を肯定して受け入れたことも勇気が行ったかもしれません。 でも、『行きたくないなら行かなくて良い』という発信は少し違うと僕は思うのです。 『行けない子』に『行きたくないなら行かなくて良いんだよ』という言葉をかけることは必要ですが、口にしなくても、『行けないのなら無理に行かなくて良いんだよ』という意味で言っていなくてはいけない。 優しさで言葉は選んでも、けして本当の意味で『行きたくないなら行かなくて良い』と言ってはいけないと僕は思うのです。 『行けるのに行かない子』が、『行きたくても行けない子』に向かって発信するべき言葉では無いと思うし、今は『行けるから行っている子』を『行けるのに行かない子』にしてしまう危険性すら有ると僕は考えます。 実際にそうなってしまった子供が居たとしたら、その親御さんはどういう思いでこの『不登校Youtuber』の少年のことを見るのでしょうか?

 親としては、『行けない子』を受け入れること自体が凄く難しいことですが、でも大事なこと。 でも、どのような形でか、そこから抜け出すのはもっと大切なことで、大変なこと、そしてもっと難しいことでもっと尊いことなんだと思うのです。 そしてそういう時に力を貸してくれる周囲の人々、それは学校の先生もそうでしょうし、同級生だってそう。 そういう大事な人が居ることを知ることは物凄く貴重な経験だったりするものです。

 世の中、この少年のように皆が『自由』に生きていけば、それはそのコミュニティの崩壊を意味するのでは無いでしょうか? おそらくそれぞれの『自由』がぶつかりあい、争いだって起こるでしょう。 正直言って、人同士が傷付けあう危険性は今の世の中より高くなるのでは無いかと思います。

 世の中には、『本当は学校に行きたいという意志は有るのに、何らかの理由で身体に拒否反応が出てしまう』という子供も居ます。 それは一歩間違えれば命に関わるケースだってあるわけで、そういう理由で行けない子供を無理に行かせるのは良く無いですが、行けるのに『行きたくないから行かない』というのはただの我がままでしか無いと僕は思うのです。
 こういう『子供の我がまま』を、『子供の自由意志』として持ち上げる周囲の大人達やメディア達にも問題が有ります。 『自由』や『権利』をことさらに主張する方々が居ますが、何らかのコミュミティに属する以上、『自由』を主張し過ぎれば失う『権利』も当然有るし、『権利』には必ず『義務』や『責任』を伴います。 そういうことを軽んじている人ほど『自由』や『権利』を声高に叫ぶ傾向が強いように思うのです。
 様々な人々の意見やネット記事を読んでいると、この少年を沢山の大人達が反規則、反体制である自分の考えを正当化させることに利用しているように見えますが、これは非常に残念なことに思えます

 この少年が言うように『ロボットのように』生きることがそんなに悪いことなのでしょうか?
 ルールに異を唱えて意見し、行動に移すことも難しくて尊いことでは有るとは思います。 でも、『ロボット』というのは違うと思いますが、世の中のルールを最低限守り、いろいろなことを我慢して、周囲の人々と協調して生きて行くことの何が悪いのでしょうか?
 集団の中で生きていれば息苦しいことも多いでしょう。 しかし、そういうことを辛抱しながら、一生懸命生きて行くことの何が悪いのでしょうか?

 仮に今有るルールが少しくらい間違っているとしても、それを最低限守りながら、協調して生きて行くことより尊いことなのでしょうか?
 守りながら、異見を唱えることが大事なのでは無いでしょうか? なかなか難しいことでは有りますが・・・


 少し話の内容は変わりますが、最近の『何にでも病名を付けてしまう風潮』にも疑問しか感じません。 マイノリティを必要以上に大事にしようとする風潮も同じくです。
 適応障害とか発達障害とか、性同一性障害とか。
 そういえば最近は丸山なんとかいう議員が適応障害とかで入院しましたね。
 精神的なもの、心の中のものはなかなか客観的に評価できませんので難しいところですが、何にでも病名を付けて言い訳にできるようにするのは違うように思います。
 弱く、辛い想いをしている人々を助けることは大事なことだと思います。 でも、同じように辛い経験をしていても、なんとか乗り越えて、我慢して、頑張って乗り越えて来ている人も多く存在することを忘れてはいけないと思うのです。
 いま、本当に辛い人、会社や学校に行きたいのに身体が拒否してしまうような人や、そういうことを考えると眠れないと言った本当に困っているような人は当然なんとか助けてあげるべきでしょうし守るべきです。
 しかし、この少年のように『行けるのに行かない』というのはやはり間違っていると思うのです


 最後に僕の根本的な考え方を書いておきますが、僕は地上の人間は徐々に減少して行く方が好ましいと考えています。
 それは人間は地球にとってマイナスな生き物でしか無いと思うからです。 いつまでも増えることもできないでしょうし。
 なので、緩やかに減少して行くべきだと考えています。 急激な減少は様々な弊害を産むでしょうし。

 今の先進国みたいに、多くの人々がことさら自由を唱え、主張すれば、争いは絶対に無くならない。 だからルールが存在します。
 しかし、人間は基本的に自分勝手な生き物。 ならばこれ以上増えるべきでは無い。
 みんながみんな、自由には生きれないし、生きてはいけない。
 最近のように個人の尊重が行き過ぎて『自由』や『権利』ばかり主張していてはいずれ戦争も起こると僕は思うのです。 それによる一気の人口減少を僕は望みませんが、世界的な人口減少が起こるとすれば、戦争が原因となる可能性は物凄く高いと僕には思えてしまうんです。 『要らないものが増えたら何らかの理由で減る』というのは自然の摂理です。
 
 
posted by ちゃんちゃん at 20:54| 大阪 ☁| Comment(7) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ルールにはルールの意義がある、というのは、子供のうちに理解することは不可能でしょうね。大人が社会全体を意識して初めてルールの必要性を理解するものだと思います。もしかして親も理解出来ていないのでは。

このような「いいとこ取り」な生活を送って、他の人がどう思うかという視点もないのでしょうね。同じ釜の飯を食った仲間の存在がどれだけ心強いか。ないことがどれほど心細いか。

このままだと、行く末は殆どの場合、社会の歯車にすらなれないでしょうね。ごく一部は事業を成功させるでしょうけれど。もしかして、You Tuberで一生食っていく決心を固めたのでしょうか。

誰にも迷惑をかけずにずっと一人で生きて消えてくれれば社会的にもエコですけれども、これを大声で言うと某殺傷事件の時のように批判されるという窮屈な世の中。この少年を批判するのも憚られる世知辛い世の中ですね。

Posted by プー at 2019年06月05日 23:24
そうか。親もそういうものを理解していない可能性も有るんですね。
なかなかにアウトローな生き方をして来た経歴もお持ちな父親みたいですので、仲間の大事さとかを知らないわけは無いと思うのですが、ルールを軽んじる土台は有ったのかもしれませんね。

自分だけがその生き方を選択し、誰にも、社会にも迷惑をかけず、国や自治体に頼ったり生活保護を受けたりすることさえ無ければ良いのですが、いま『なんとか行っている子供』を、『行けるのに行かない生き方』に巻き込むのは止めて欲しいところです。
某殺傷事件では、『不良品』とか、言葉の選び方は考えるべきだとは思うのですが、『(誰かを巻き込むくらいなら)一人で死んでくれ』というのは客観的にみて自然な想いだと思います。もちろん反対意見も有るでしょうが、先の言葉も批判されるいわれは無いと思います。

一番腹立たしいのは、この少年を利用する反規則、反体制の連中です。
ウーマンラッシュアワー村本とか、
茂木健一郎とか
特に村本は酷い。とにかく『少数意見やマイノリティに味方する俺ってカッコイイ』感が半端有りません。40前にして中二病という痛いやつです。いちいちヤフートップに上がって来るからうっとおしい(怒)
Posted by ちゃんちゃん at 2019年06月05日 23:51
日本国憲法はいわば国民の基本的な約束事ルールだ。
そこには三つの義務が記してある。
教育の義務、勤労の義務、納税の義務。
その一つ教育の義務は、誤解している人も多いようだが、「親が子に教育を受けさせる義務」だ。子供が負っているわけではないし、子供自身ににその裁量が委ねれれている訳でもない。止むを得ない事情で義務を果たせない場合には酌量の余地はあるが、今回のケースは親が義務をきちんと果たしていないことになる。親が悪い。納税のように厳しい処罰を受けるわけではないけれど、それと同等の罪がある。義務は果たさなければならない。権利を主張するのはそこから先の話だ。それが嫌ならば親子ともども日本国籍を離れて外国人になればいい。外国の憲法までは知りませんが(笑)
その教育の在り方についてはいろいろと議論があるところで決して良い面ばかりではないけれど、自分は義務教育を受けておいて良かったと思っています。
Posted by まーさん at 2019年06月07日 08:05
 まーさんのおっしゃる通りですね。

 中には憲法の解釈として、『教育を受けさせる義務』というのは、親や行政が教育を受けられる環境を整える義務だという意見も有ります。 本人がそれを望まない場合、受けさせなくても憲法違反とはならないという意見も有るみたいですね。 個人的人権の尊重という意味合いからなのでしょうか?

 しかし、僕もまーさんさんと同じく、義務教育を受けて良かったと思っています。
 ほとんどの教育によって得た知識は直接仕事の役には立たないですが、習っていない自分を想像したら怖いです。 何より、リアルに人と対峙する集団生活が人間にとっていかに重要かと思っていますし。
Posted by ちゃんちゃん at 2019年06月07日 08:29
 あと、本文中にも書きましたが、『本当は行きたいのに身体が拒否して行けない』子供やその親御さんも居る上、世界的に見ればそもそも『教育を受けたくても受けられない国』が沢山有るというのに、『行けるのに行かない子』がせっかくの教育を受ける権利をないがしろにしてこのような活動をしていることを許容することは僕にはできないかなというのが正直な想いです。
Posted by ちゃんちゃん at 2019年06月07日 18:25
本当にそうですね。
米百俵の精神はどこへ行ってしまったのでしょうか?
日本という素晴らしい国を作り上げてきた先人達に申し訳ないような気がします。
Posted by まーさん at 2019年06月10日 04:46
 誰の力も借りずに自分だけで生きていける環境に行っての話なら別に良いんですけどね。
 人として生活して行く以上、それは難しいことでしょう。
 プーさんのコメントに有ったように、『いいとこ取り』は許されることでは有りませんよね。
Posted by ちゃんちゃん at 2019年06月10日 08:05
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