黄金世代の主力を欠きながらでも優勝。
逆に層の厚さが威力を発揮した優勝だったように思います。
調子にムラも有りますが、今回はそれが良い方向に出た感じ。
大会結果
優勝した東海大は2区の西川選手でやや躓いた感じでしたが、4区西田選手、6区郡司選手が区間賞の走りで盛り返しました。
特に6区の郡司選手は6人抜きでトップに立ちましたから凄いです。
2位の青学大は思ったより頑張った印象。
7区の吉田圭太選手がトップに立ちましたが、東海大を突き放せなかったのが痛かったですね。
監督としては、4区の鈴木選手にもう少し頑張って欲しかったところでしょうか。
3位は駒澤大。
何と言っても主要区間で有る7区に抜擢された1年生の田澤選手が青学大の吉田選手を抑えて区間賞を獲得したのは素晴らしかったです。
4位は東京国際大。
2区の伊藤選手が驚きの13人抜きでなんとトップに立ちました。 その後も大崩れは無い走りで繋ぎ、アンカーの留学生ムセンビ選手が区間賞の走りで楽々シードを獲得でした。
5位は僕が本命視した東洋大。
3区相澤選手がなんと10人抜きの快走で一気にトップに立ちました。
しかし、5区の西山選手が監督の期待に応えられなかった感じでしょうか。
ずるずると下がってしまい、5位終戦でした。
それにしても相澤選手の走りは次元が違いました。 全ての選手を並ぶまもなく置き去りにしましたからね。 区間2位の選手に55秒差ですからね。 凄いです。
出雲覇者の國學院大は7位に終わりました。
大エース塩尻和也選手が引退した順天堂大は、6区までが頑張り2位で7区に襷を渡したものの、距離の長い7・8区で一気に順位を落として9位でシード獲得ならず。 これだとさらに距離が延びる箱根駅伝は厳しいでしょうか。
故障者さえ減れば、箱根はやはり東海大でしょうか?
でも本当にムラが有りますからねぇ。
ちゃんちゃんさんと車談義が出来るとは思ってもいませんでした。
スーパーカー少年だったんですね。
でもディーノが好きってあたりがちゃんちゃんさんらしい。(^o^)
風吹裕矢のライバル沖田が公道グランプリで乗ってましたね。
サーキットの狼の連載が始まったのが私が中学生の頃で、その影響で現在の仕事に就いているようなもんなんです。
なので当時のスーパーカーには思い入れが深いんですよね。
以前から感心していたんですが、ちゃんちゃんさんは名前を略さないですよね。
車の名前も略さないのには凄いなと思いました。
私らの業界では略すのが当たり前なんで…
何しろ古くからある車名だと何世代にもなりますので。
例えば最近のヒット車種で言えばプリウスですが、現行車は4代目です。
区別するのには型式というのを使います。
現行車種はZVW50という型式なので50プリウスとか5プリとか呼びます。
バカ売れした先代はZVW30なので3プリって具合です。
これがクラウンともなれば10世代以上ですからね。(^_^;)
でも人の名前は略さないほうが良いんでしょうかね
ただ、私は愛情を持って「しょ~ま」とか「おタミさん」って言ってるつもりですが。
プロ野球も好きな私にとっては選手の呼び捨てとかは常識的だったので。
決して見下してるとかじゃなく、親近感を持った呼び捨てなんですけどね。
当時はティレルもタイレルって言ってましたね。
P34も懐かしいな~!
ディーノはあの流線的なフォルムが好きでした。でもそんなことよりも、死んだ沖田の乗っていた車で、何より実車の数の少なさとか、レアさに惹かれたのかもしれません。
同じようなフォルムでも、リトラクタブルライトのミウラや、その通常ヘッドライト版みたいなイオタはあまり好きでは有りませんでしたね。
ちなみに小学校高学年とか中学生になると、兄が乗っていたバイクの影響か、バイクのレースも好きでした。
ヤマハYZRでしたか、ケニー・ロバーツとかホンダNSR(?)のフレディ・スペンサーとか憧れでしたね。バイクはヤマハのカラーリングが好きでしたが、天才ライダー、ーフレディ・スペンサーが出て来た時はセンセーショナルでした。図工の作品はそういうのを良く題材にしましたよ。
車の名前を略さないのは『フェラーリ』ではその中のどれが好きか解らないからです。人間の名前を略さないのは、まずは記事にする時は半分新聞記事を書いているくらいの気持ちなので略さないのと、あとは照れ臭いからですね(笑)そこまで親近感持っては書けないというか(笑)
カウンタックの呼び方は随分時間が経ってから知りました。ジャガーは知りませんでしたが。
タイレルP34って、いわゆる6輪タイレルのことですよね。あれは斬新な車でしたよね~
僕はあの頃圧倒的に速かったマクラーレンが好きでしたね。ジェームス・ハントがドライバーでしたっけ?
バリバリ伝説を愛読していました。秀吉が死んでつまらなくなったけど。
原監督は後半勝負だと言っていましたが、アンカーで負けて箱根も厳しいでしょうね。選手層の厚さで東海大が最有力ですね。
せいぜいビートルとミニぐらいかな?
もちろん外車ディーラーなんて近所に無かったし・・・
ポルシェの実車を初めて見たのは、中学の修学旅行で行った長崎でのことでした。
高校になってから県内でもスーパーカーショーが開催され、カウンタックやBB・ミウラ等も対面することが出来ました。
もちろんニセ物のイオタもね・・・
ジェームス・ハントも好きでしたね~。
なんせ高校時代に原チャリの免許を取って、友人から貰ったヘルメットにハントのカラーリングを模してましたから。
でも45歳の若さで亡くなるとは思いませんでしたね。
GP500はのめり込むほどではありませんでしたが、それなりに・・・ってレベルでしょうか?
ケニー・ロバーツの頃はほとんどチェックしていなかったので、スペンサーの衝撃も片山敬済さんの活躍もよく知りません。
エディー・ローソン、ワイン・ガードナー、ウェイン・レイニー、ケビン・シュワンツの頃かな~。
日本人だと平忠彦さんかな。
そうそう、ニイヌマ・ケンジーも忘れずに!(笑
なんせバイクレースに興味を持ち始めたのが、「汚れた英雄」と「バリバリ伝説」の影響なんで。
ちなみに当時RZ250の初期型に乗ってたんでヤマハ党でした。
今は動かないけどまだ持ってます。
フレディ・スペンサーは若くて格好良くてしかも速いという、スーパーマンという印象でしたね。
バリバリ伝説、秀吉、いましたねぇ。
グンとは全然違うタイプのライバルでしたね。
駅伝はおっしゃる通りですね。 さすがに今年度は青学はキツイでしょうか。
でも東海大はムラが有るのがどうしても気になります。
箱根もまた違う大学が獲るかも? とか考えてしまいます。
ヘルメットをそうやって誰かのレプリカにしている人は沢山いましたね。
一番多かったのはやはりバリバリ伝説の巨摩郡だったでしょうか?
僕はバイクのレースはさほど観てはいませんでしたが、雑誌などで良く読んでました。
挙げられた名前は全員存じていますが、ローソン・ガードナー以外は名前を知っているくらいで、走っているところを観た記憶は無いです。
ニイヌマ・ケンジーってどういうことでしょうか?
汚れた英雄の主人公は草刈正雄さんでしたよね?
僕はあの映画、兄に連れられて映画館で観ましたが、子供には刺激の強い映画でした。 兄の友人達はすぐ隣のR18の映画の方に忍び込んで観ていましたが(笑)
兄はカワサキのFX400に乗っていました。かなりボアアップしていましたが、スズキのRGγが出てきた頃、『簡単に250に抜かれる』と嘆いていましたよ。
まだ当時の250を持ってるって凄いですね。
被ってるのが恥ずかしいぐらいに…(笑
汚れた英雄はおっしゃる通り、最近再ブレイク中の草苅正雄じいちゃんです。
男前は歳とってもカッコいいのが羨ましい。
ローソンかレイニーだったかの時代に、「ニール·マッケンジー」というライダーがいたんです。
それなりの戦績だったと思いますが、チャンピオンにはなっていません。
テレビでGP500が報道されたときに、新沼謙治がバイクレースに出ているって話題になったんですよね。(^_^;)
完全なる人違いですが、バイクファンは面白がってギャグとして使ってたんですよ。
いつかは直して…と思いながら、はや何十年!
仕事優先になるので、自分の分は中々やろうという気が起きないんですよね~。
AE86トレノも3台持ってるんですが、車検があって乗れるのは1台だけ。
それも滅多に乗らないし…税金と保険代の無駄遣いですね(ToT)
復活させたい気持ちもありますがお金とヒマがね(^^;)))
年齢を考えるとそろそろ断捨離とか終活の対象ですかね?
あんなおじいちゃんなら孫も嬉しいでしょうね。
ニイヌマ・ケンジーはそういう意味だったんですね(笑)
それは残念ながら僕は解りません(笑)
ハチロクを3台も!?
それは凄い。
その気になれば、高く買いたいという人が居るのでは無いですか?
ちなみに僕は昔からバイクや車を持ったことが有りませんでした。
2年前に父が亡くなり、その父の車(僕が選んだ)であるニッサン・ノートを名義変更して初めて車のオーナーになりました。
子供の頃はバイクや車に惹かれましたが、どちらかというと、室内でゲームしているタイプの奴だったんで。。。
あ、もちろん、グランツーリスモはやってましたよ(笑)
ツインファミコン時代のファミコングランプリ・F1レースというソフトでは、国内3万人以上のプレイヤーの中で、トップ80に入りました。トップ50くらいまでは裏技使った方々だったので、本当はもっと上でしたが。
Mizoさんも僕も終活はまだまだ早いでしょうが、断捨離は僕もしないといけませんわ。特に仕事の資料を。
Araiの平忠彦レプリカ持っていたけど、速攻で盗まれちゃって…。
86レビンやトレノも人気ありましたよね。でもFRからFFになって急につまらなくなったのも事実です。
バイク、カッコイイだけなら、ドゥカッティ900マイクヘイルウッドレプリカとか憧れでした。
なんて、そもそもバイクの免許取ったことの無い僕でした(苦笑)
36万円を36回払いで・・・(笑
高校時代は原チャリしか乗っていなかったんでRZの速さにはビックリしました。
ただ他の400ccクラスとか乗ったことは無かったので比べるすべはありませんでしたが。
RZ250はレーサーレプリカではありませんでしたが、バカっ速の2スト250の先駆車ではありましたね。
レーサーレプリカが全盛になった頃には私のバイク熱も醒めて、放置プレイで時々通勤に使うぐらいになってました。
峠なんかほとんど行ったこと無かったし・・・
まあ、ハチロクでは毎週末、峠に行ってましたが。(笑
ちなみに結婚前のカミさんがVT250に乗ってました。
軽くて取り回しも良く、乗りやすいバイクでしたね。
自分もVT250乗ってました。
VT250F→XLR→VT250でした。
本当はゼファーが欲しかったのですけど。
今はクロスカブでトコトコ走るの
良いなぁなんて思ってます。
僕は子供の頃に乗りたいとは思いましたが、乗れる年齢になってからは乗ろうともしなかったです(苦笑)
十三という、異常に交通の便の良いところに住んでいるのが多分に影響しているとは思いますが(笑)
そういえば今日、車で移動中に凄いカッコイイバイクに抜かれました。
なんかフロントの風防が横に凄い角ばってて、まるで一時の仮面ライダーのバイクのようでした。
メーカーも解りませんでしたけど。
現在の自宅はJR宇野線の駅から歩いて5分ほどの距離なんですが、昼間は上り下りが1時間に各1本なんでお話になりません。(笑
一番近くのコンビニまで直線距離で3kmほどありますし。
実家の直近の駅は山陽本線の新倉敷駅なんで、宇野線より本数はありますが、バスで30分ほどかかります。
新幹線も停まりますが「こだま」のみ。(笑
岡山駅か倉敷駅周辺の市街地に住む以外に車無しの生活は無理なんです。
なので高校生になったらまずは免許を取って原チャリに乗って、その流れで中型免許を取ってというパターンですね。
高校を出たら車がメインになっちゃいますかね~?
バイクは2人しか乗れないし、冬は寒いし夏は暑いから・・・(笑
まあ、私は中型免許取ったのもRZを買ったのも高校を出てからでしたが。
先日行った、茨城の母の実家も相当田舎ですが、それでもそこまでは無いと思います。
ちなみに我が家からコンビニまでは直線距離なら100mくらいです。
半径3km以内なら・・・
数え切れません(笑)