2016年07月15日

輝かしい歴史に幕 : PL学園、高校野球大阪大会初戦で敗退

 最後まで残って闘った部員に幸あれ[E:crying]



 PL学園初戦敗退、輝かしい歴史に幕/大阪(日刊スポーツ)

<高校野球大阪大会:東大阪大柏原7-6PL学園>◇15日◇2回戦◇花園中央公園野球場

 今夏限りでの休部が決まっているPL学園が初戦で強豪の東大阪大柏原敗れ、その輝かしい歴史にいったん幕を閉じることになった。

 1回表、PL学園は2死満塁から6番安達の右前適時打で2点を先制した。しかし、その裏、同点とされると2回裏には2死満塁から、2点適時打され勝ち越され、さらに捕逸で3失点目。2-5とされた。

 粘るPL学園は6回表 1死一、二塁から7番水上の適時二塁打で2者生還し1点差に迫ると、7回表1死二塁から藤村の2ランで6-5と逆転した。

 しかし、7回裏 2死一、二塁から中前適時打許し6-6同点。8回裏に勝ち越され、9回表最後の攻撃も三者凡退と力尽きた。

 前日14日、練習中に河野友哉内野手(3年)が大腿(だいたい)を骨折。外野手の正垣は亜脱臼で出場可能な11人から戦線離脱。実質9人で戦うことになっていた

 内野スタンドは超満員、OB桑田真澄氏のものまね芸人、桑田ます似も登場した。

観衆は通常の3倍にあたる2800人が観戦。報道陣は220人。

 PL学園野球部は1956年(昭31)創部。62年春に甲子園初出場を果たした。70年夏は東海大相模、72年夏は桜美林に敗れ準優勝に終わったが、春夏通じ12度目の出場となった78年夏、中京との準決勝を延長12回サヨナラ、高知商との決勝を9回サヨナラ、いずれも土壇場での大逆転劇で制して初優勝し「逆転のPL」の異名をとった。

 80年代に入ると桑田真澄、清原和博の「KKコンビ」を軸に人気、実力共に不動の地位を築いた。その後も甲子園で好成績を収め続け、98年夏には松坂大輔擁する横浜との延長17回の死闘など、印象に残る数多くの試合でファンを魅了し、プロ野球選手も多数輩出した。近年は09年夏を最後に甲子園出場はなく、不祥事が相次いだことや学園の方針もあり15年度から新入部員の募集を停止。昨秋の大阪大会は2年生12人で臨み、初戦で敗退していた。甲子園は春20度出場し3度優勝(通算48勝17敗)、夏は17度出場し4度優勝(通算48勝13敗)。(引用終わり)

 この件のニュースを夕方のTVで観た。 まさか実質9人で闘うことになってしまっていたとは。。。[E:crying]
 あの甲子園を湧かせた強豪校の最後が、一人怪我でもしようものならその時点で不戦敗という状況に追い込まれて闘わなければならないなんて、なんて辛いことだっただろうか。。。[E:crying]

 ニュースを観て、PL学園には縁もゆかりも無い僕でも目頭が熱くなった[E:crying]

 僕は桑田・清原のひとつ下の学年に当たるが、我々世代の男子の多くはおそらく『自分の母校の校歌よりもPL学園の校歌の方がフレーズが出て来る』と言うだろう。 それほどPL学園は常に甲子園で勝利して校歌を響かせていた。

 休部となるのには学園側の事情とか大人の事情が有ったと聞く。 しかも学生には責任は無いようなことだっただけに残った選手達が実に可哀想だった。 野球の解る監督が居ない時期も有ったというし・・・

 最後まで諦めずに闘った生徒達は、この高校生活で非常に辛い想いをして来たことだろう。 そんな中、3年間頑張り切れたことはきっとこれからの人生に活きると思う。 将来、どんな道に進んだとしても、この辛かったであろう3年間をけして忘れずに頑張って欲しい。 願わくば一人くらいはプロに進み、スター選手の一人となって欲しい。。。

 最後まで残って闘ったPL学園最後の野球部の生徒の皆さんに、今後の人生に幸多きことを祈ります

posted by ちゃんちゃん at 20:01
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